第六天魔王ノブナガ 1 信長の優しさ、その1


信長は次男ですが、織田家の正当な跡取りです。
何故なら、長男の母親は側室(愛人)だったかです。

ですが、その当時信長は頗る評判が悪かったのです。
領民は信長のことを陰で”戯けもの”と呼んでいたのです。

何時の世も凡人は天才を理解できないし、しょうとも
思っていないのです。

人間は理解できないことや、常識から外れたことを
忌み嫌い排除しようとします。

信長を理解する者もおらず、信長は1人でした。
母親も彼を嫌い3男の勘十郎を跡目にと思ったのです。

ここで両者の争いが起こり、信長が勝利しました。
ここで初めて、信長の器量を家臣達も認めて、
その配下になりました。

そして、この当時の武家の常識からすれば、敗者は
親子であろうと兄弟であっても死が待っていたのです。

しかし、信長は1度弟・勘十郎を許したのです。
この温情にたいして、勘十郎は仇で返しました。

ここに至って、信長は弟を葬り去りました。
ここで1つ問題が残ったのです。
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弟・勘十郎には、幼い男の子がいたのです
その当時の武家の常識からすれば、殺すのが
妥当な処置だったのです。

ひと昔前の源頼朝と源義経の兄弟関係を知れば
当然の行為でした。

源頼朝は敵対してもない弟・源義経を追放し、
あまつさえ源義経の赤ん坊を殺しているのです。

現在の私達からみれば残酷な話ですが、
食うか食われるかの時代です。

平清盛が自分(源頼朝)を殺さなかったから、
平清盛の子孫達が死に絶えたことを、
源頼朝は深く認識していたのです。

この事から考えると信長が甥を殺害しても
非難するに当たらなかったのです。

しかし、信長は甥を殺しませんでした。
この事実をどう考えたら良いのでしょうか。

それは、肉身に対する愛情や優しさでは
なかったかと思います。

さて、その後の甥(信長)の人生ですが、
成長するにつれ、自分の立場が分かると
死の恐怖に襲われたのです。

当然ですね。
彼は反逆者(勘十郎)の息子だからです。
しかし、幸運が訪れたのです。

信長が最も寵愛している明智光秀の娘との
縁談が決まったのです。

これで、もう殺される心配はないと,
彼は、ほっとしたことでしょう。

でも、事後に本能寺の変が起こり、夫婦共に
殺されてしまうのです。

折角信長から助けて貰った命ですが、皮肉な
結末を迎えました。

どうでしょうか。
織田信長は比叡山の僧侶3000人を殺し、
一向一揆の信徒数万人を焼き殺したのです。

その所業は冷酷非情・残忍で、およそ人の<
なせる事ではありません。

敵から魔王・仏敵と恐れられたのも頷けます。
しかし、それだけでは、信長の人気の秘密は
解けません。

信長は敵に対しては、冷酷非情な悪魔になれるが、
自分が保護する民や自分と同じ美意識を持った者
には、優しくなれる処が、人気の秘密でしょうか!

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